Reports

Derrida Library@プリンストン大学(2025年12月1-4日)




2025年12月1-5日、北米のプリンストン大学を訪問して、ジャック・デリダ・ライブラリーにて教員や司書、院生との懇談をおこない、所蔵資料を調査した。訪問したのは、西山雄二、宮﨑裕助、小川歩人、中谷碩岐の世代が異なる4名で、同じデリダ研究でも関心領域が異なる者同士で調査できたのは実に効果的だった。

プリンストンはニュージャージー州の郊外都市で、大学周辺に小さな中心街があり、そのまわりに治安の良い閑静な住宅街が広がっている。ニューヨークからは、アムトラックか郊外列車(ニュージャージー・トランジット)でプリンストンJCTまで60分ほどで、そこからは支線(愛称はディンキー Dinky)かバスに乗って15分ほどで市内にたどり着ける。

初日に仏文科院生Bill Hamlett氏の案内でキャンパスツアーをしていただいた。プリンストン大学は1746年に創立された、アイビー・リーグの一校に数えられる名門校。広大なキャンパスは歴史的な風格が感じられ、豪奢な建物群はアカデミック・ディズニー的な風景にも映る。約200の建物のなかには、19世紀のビクトリア朝時代に流行した荘厳なゴシック・リヴァイヴァル様式のものも残っている。最古の建物ナッソー・ホールから、巨大なチャペル(下写真)、多数の所蔵品を無料で鑑賞できる大学美術館、スポーツ競技場、学生寮、学食などがある。敷地内に複数のカレッジも点在しており、アインシュタインやオッペンハイマーらが研究したプリンストン高等研究所とも連携している。


2日目、デリダ・ライブラリーの責任者Katie Chenoweth先生、Eduardo Cadava先生、担当司書、院生らとミーティングをして、アーカイブの経緯や状況を確認することができた。みなさんの実に寛大なもてなしに深く感謝したい。

ファイヤーストーン図書館は地上3階、地下3階の構造で、歴史的な外観に反して、なかはモダンでゆったりした雰囲気。一般書架も充実しており、たとえばデリダに関するかなりの数の研究書が英仏伊西の各言語で配架されている。ウエブサイトで事前に入館登録が可能で、入口でVisitorの資格で手続きをすれば、半年間有効の入館証がもらえる。

地下3階の貴重資料室で公開されているデリダ・ライブラリーには、彼がリス・オランジスの自宅に所蔵していた資料3万点がすべて保管され、そのうちの約1万点が公開されている。貴重資料室に入室する際、ペンは携帯不可で鉛筆のみ、PCや携帯電話は可能で、ノートは可能だが紙の持ち込みは制限される。資料の写真撮影が可能なので、調査はかなりはかどる(貴重資料室で撮影された写真は私的利用のみで、基本的に公開不可)。

所蔵資料は多岐に及び、ともかく彼が自宅に保管していたすべてである。デリダ自身が刊行した自著、所蔵していた本や雑誌。講義での読み上げ用に印刷された原稿、論文などのコピー、出版用のゲラ原稿。新聞や雑誌の切抜、友人などからの手紙、私的な写真。

サイトで公開されている目録は詳細に分類されていて、実に有益である。担当司書が各資料を、すべての頁を確認して細かく分類した見事な成果だ。プロフェッショナルな業務とはいえ、その精緻で膨大な作業を想像して、驚嘆するしかない。現地で閲覧しなくとも、この目録を検索するだけで、所蔵品についてかなりのことがわかる。言語分類だけで50言語あり、たとえば日本語資料は22点みつかる。Annotations(線引や書込)、Inscriptions(献辞など)、Insertions (Provenance)(挟み込まれた資料)などの特徴も目録に記されている。

閲覧に際しては、サイト上で検索して、リクエストをすれば、15分ほどで資料ボックスが届く。『グラマトロジー』でリクエストすれば、『グラマトロジー』だけでなく、その周辺の資料も入ったボックスが用意される。ただ、別館にて所蔵されているボックスもあり、そちらはリクエストして2−3日かかる場合もあるので注意。


資料の調査方法としては、さまざまなアプローチが考えられる。
デリダの自著には、自分で印を付けた箇所がある場合もある。参考にした資料や、刊行後に自分で記した正誤表が挟み込まれていることもある。ちなみに、『グラマトロジー』についてのみ、すべての書き込み箇所の写真がウェブサイト「Derrida’s Margins」で公開されている。

また、デリダが参照した文献を調べて、書き込み具合を見れば、どのような箇所に注目したのかがわかる。ヘーゲルの『精神現象学』は下線や書込がほとんどあり、「理性」章は「骨相学」のみ、精神章はAのみで、逆に「不幸な意識」節にはほぼ形跡がないのは驚いた。ハイデガーの著作にもおびただしい書込で、「芸術作品の起源」「アナクシマンドロスの箴言」などはとくに激しい。マラブー『ヘーゲルの未来』は、デリダが長大な書評を書いているので、ほぼ全頁に線引きや書き込みがある。ジャン=リュック・マリオンの『与えられて──贈与の現象学試論』は献本されていたが、贈与のエコノミーの箇所は集中的に読まれた後があった。冷戦終結期に書かれた『マルクスの亡霊』で引用されたシャイクスピアの「Time is out of joint. 時間の蝶番が外れている」には下線が引かれている。そして、当該頁にゴルヴァチョフのイラストと、「I❤️NY」と記された小さな砂糖入れが挟まっていたのは印象的だった。

Materialsの名称で人名や主題毎に資料がまとめられている。Maurice Blanchot materialsでは、新聞や雑誌でのブランショの死亡記事の切り抜き、1930年代の政治記事、ブランショからの手紙などが数多く集められていた。Jean-Luc Nancy materialsでは、ナンシーの博士論文『自由の経験』の審査コメントなどが収められている。「「死刑」調査資料("La peine de mort" research materials)」では、講義の準備のために、死刑に関する時事的な記事の切り抜きが多数収められている。

貴重資料室に入って調査する経験は、デリダの自宅に入って資料を閲覧させてもらう経験に似ている。貴重資料室に入るとき、手を洗い、司書に扉を開閉してもらうのだが、神社の手水舎で手を清めるようで、時間と場所を超えて神聖なものにこれから触れるのだという心境になる。(西山雄二)


今回訪れたプリンストン大のデリダ・アーカイヴは、デリダの自宅や倉庫に納められていたモノそのものを収蔵しているという点で他のアーカイヴとは異なっている。アーヴァインやIMECのアーカイヴが収蔵しているのは、主に未刊行の草稿であり(それも今ではウェブ上でほとんどが公開された)、いうなればタイプ原稿や自筆原稿の紙の束だった。それに対して、このアーカイヴには、デリダの蔵書中心に、書籍とともにファイルされていたさまざまな紙片(手書きタイプ打ちのメモ、新聞雑誌の切り抜き、献本お礼の私的な手紙等)も一緒に収められており、さながらデリダの書斎にこっそり侵入し、書棚を漁っているかのような奇妙な罪悪感に包まれるのである。

しかもそれが司書の厳格な監視下でなされるのであり、その「書棚漁り」の「作法」もしっかり指導される(私などは当初は慣れずに関心の赴くままに資料を取り出してしまい何度も注意されてしまった)ため、秘密裡に行なうはずの「窃視」を大掛かりで公的な共謀活動としてやっていることになるのだから、これほど倒錯した体験もないだろう。自分自身は生前のデリダと個人的な面識はもたなかったため、そこまで抵抗はなかったけれども、なにか申し訳ない気分になったことは確かだ。

作業に費やすことができた時間は実質三日であり、注文してもすぐに閲覧できないものもあったため、400個近い箱の中に目を通すことは到底かなわなかった。しかし自分の関心の範囲では、自分が翻訳した『メモワール』や『有限責任会社』関連のデリダのメモを見ることができたし、晩年のデリダがド・マンの『読むことのアレゴリー』のルソー論批判をしているのはフランス語訳に過度に依存したために生じた誤読が含まれるという拙論の主張(『読むことのエチカ』最終章)も、デリダの蔵書の書き込み状況からみて一目瞭然の裏付けをうることができた。

蔵書をいろいろ見ているなかで、サミュエル・ウェーバーが『グラマトロジーについて』に関して出した手紙や、フランソワーズ・ダステュールが『精神について』に関する長い批評を行なった個人宛書簡なども閲覧できて、思わぬ成果も得た。晩年のデリダは自身のフランス語(文法上のミスやタイポなども含め)に関する「打ち明けることもはばかられる不寛容さ」を自嘲していたが、自著にはまめにつくられた訂正表が挟まっており、デリダが誤植に厳しい書き手であることもよく分かった。重版や再版の機会があれば、反映させようと思っていたはずだ。

残念だったのは、自著の蔵書には、デリダ本人の手書きによる欄外書き込みだけでなく、メモとおぼしき紙片もたくさん挟まれており、著書の増補や修正になるような内容が含まれているのではないかと推測されたが、デリダの難読筆跡は、自分にはほとんど判読不可能だった点だ。今回同行した研究仲間たちとも、デリダの筆跡解読アプリをつくらないとね、と愚痴をこぼし合っていたのだが、若い世代の研究者が、近い将来それを本当に実現してくれるのではないかと冗談抜きに期待しているところである。(宮﨑裕助)


昨年(2024年)11月に、従来アクセスが極めて困難であったジャック・デリダの未刊行講義録がプリンストン大学によってオンライン公開されたことは、デリダを巡る研究状況の大きな変動を予感させるものであった。1960年代を中心とするデリダ思想の生成史研究に従事してきた私にとって、こうした講義の公開は無視できないものであり、今回の訪問を通じて、プリンストン大学におけるデリダの蔵書の調査、およびデジタル・アーカイブを巡る今後の展望について意見交換を行うことができたことは僥倖であった。活動の全体については西山報告が詳しいため、ここではライブラリーについての多少踏み込んだ調査結果、および今後の展望について手短に報告する。なお、今回の渡航にあたっては、日本財団HUMAIプログラム(B)「人文情報学的手法を用いたジャック・デリダの未刊行草稿解読」の支援を受けた。

既に講義録は公開されているとはいえ、蔵書の調査を通じてはじめて得られる貴重な情報も多く、調査は極めて充実したものであった。たとえば1960-61年度講義『思考』がデリダのデビュー作『幾何学の起源』「序説」と共通のレターヘッドを持つ用紙によって書かれていることは、『思考』編者のブリュー・ジェラールによって既に報告されていたが、今回の調査を通じて、複数のフッサールやハイデガーの著作の中にこの用紙が挟み込まれていることが確認できた。こうした情報は、蔵書に対するデリダの書き込みと併せて「デリダがどのテクストを、いつ、どの程度読んでいたのか」という生成史研究最大の問いに一定の回答を与えるものであり、従来の研究状況を大きく刷新することが期待される。また、たとえばアンリ『顕現の本質』には1965年2月のミニ・カレンダーが挟み込まれていたが、これはHägglundや米虫、亀井といった論者によって提起されてきた「『声と現象』の自己触発論は『顕現の本質』に対する暗黙の論争である」という仮説を補強し得る、重要な資料であるだろう。

そのほかにも、『暴力と形而上学』の初出版であるRevue de métaphysique et de morale(1964, No.3-4)には、フーコーやカンギレムといった名前が挙げられる、献本用リストではないかと推測されるメモ書きが付されており、デリダが当時重視していたアカデミックな交友関係を把握することができた。DES論文『フッサール哲学における発生の問題』のタイプ原稿には、フッサールの遺言を結語とするこのテクストの末尾に存在した幻の一文を修正ペンの下に透かし見ることができるほか、参考文献リストに付されたチェックは、このテクストを執筆するにあたってデリダが念頭に置いていた現象学研究の文脈を限定するにあたって興味深い。そのほか、ここで紹介し尽くすことのできない貴重な結果が多く得られ、わずか3日間という極めて短い調査期間にもかかわらず、期待以上の成果を得ることができた。

とはいえ、調査を通じて改めて資料的価値の高さを実感する一方で、デリダの判読不可能な文字を前に呆然とすることもすくなくなかった。私は現在、共同研究者と共に哲学者の手書き文字を解読するデジタル・ツールの開発に取り組んでいるが、そもそもデリダの手書き文字を解読すること自体が極めて困難であることから、教師データの収集に困難があることが予想されていた。しかし今回の訪問のなかで、デリダの手書き文字を高精度で解読できるBill Hamlett氏とこれまでの手稿研究の状況について意見交換を行うとともに、今後の研究連携を約束することができ、研究プロジェクトを大きく前進させることができた。今後、プリンストン大学と連携しつつ、可能な限り早くデリダの文字を高精度で解読できるデジタル・ツールを開発することで、デリダ研究の基盤環境の整備を行っていきたい。(中谷碩岐)